全寮制フリースクール ふれあい謙志塾が目指すもの
フリースクールという言葉を、以前からすると新聞、テレビなどで頻繁に聞くようになってきました。
フリースクールと呼称される教育機関が、統一した条件の下で開校されているかと言えばそうではなく、各フリースクールがそれぞれの特色を打ち出し、独自の方針・方法で生徒指導に励まれています。
個性的な指導法や、派手な活動は、確かに魅力的かもしれません。知名度や規模が大きければ、安心感も大きいかもしれません。しかし、教える側に個性があれば、教わる側にも個性があります。
どちらも、人間です。それぞれに得意・不得意な事が必ずあり、両者の意志疎通が取れなければ、どんなに立派な教育理念も、充実した設備も、むなしいだけのものになってしまいます。
フリースクールの門をくぐる子ども達は、「普通」や「一般的」「平均的」「標準」等と呼ばれる道からそれてしまった子どもです。大多数の人が乗れるであろうと設定されたレールに乗れなかった子ども達です。
こういうと、「悪い子」[ダメな子]の様に感じますが、一人ひとりが違う人間である以上、そんな事は充分にあり得ます。問題なのはそこからどうするか。
その後どうなっていくのか。レッテルを貼って諦めるのはまだ早い。
私達ふれあい謙志塾は、一人ひとりと向き合うこと、きめ細かい指導を大切にしていきたいと考えています。
インフォメーション
理念
「仁・義・礼・智・信」この五常とよばれる言葉は、日本に古くから伝わり、人として大切なことを凝縮した教育理念です。
- 「仁」・・・思いやりの心を持つこと
- 「義」・・・正しい行いを心掛けること
- 「礼」・・・礼節を重んじ豊かな心を示すこと
- 「智」・・・正しい判断の出来る心の目を持つこと
- 「信」・・・周りの人から信頼されること
人が人として生きて行く中で、生きにくさを感じたり、壁にぶつかったり、バランスを崩してしまう時、それはこの5つの中のどこかが欠けていたり、偏ったりしている時ではないでしょうか。
伊達政宗が言ったという、「義にすぎれば固くなる。仁にすぎれば弱くなる。」という言葉もその意味を表しています。
たった5つの当たり前の様な言葉ばかりですが、自信を持って全て実践出来ていると言える人がどれだけいるでしょう。
また、言いきってしまえる事は良い事でしょうか。謙虚でありながらも高い志を持っていなければ、かなわない事だと思います。
この言葉が生まれた頃より現代社会は随分と便利になり、何事も簡略化されるに伴なって、これらの事を実感する機会は確実に減っています。
大切なことを見失わず、次世代を担う子ども達と一緒に深め続けていく。そんな場所でありたいという願いが私達の理念、謙志塾という名前には込められています。
「生きていれば、不安や迷いは必ずある。でも、自分の中にひとつでも自信を持つ事が出来れば、不安を抱え迷いながらでも前向きに生きていける。全ては、自分の中にあるのだから。」
フリースクールふれあい謙志塾 代表 太田 義巳